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「政治とカネ(談合)」編 印刷 Eメール

2007年参議院選挙 有識者評価/「政治とカネ(談合)」編

武田晴人(東京大学大学院経済学研究科教授)
たけだ・はるひと
profile
1949 年東京都生まれ。72年東京大学経済学部卒、79年東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得。東京大学経済学部教授、東京大学大学院経済学部附属日本産業経済研究施設教授等を経て現職。主著に『日本人の経済観念』(岩波書店、99年)、『談合の経済学―日本的調整システムの歴史と論理』(集英社、99年)など。

政治家や第三者の関与を排除する制度が不十分

 官製談合に問題があるとするならば、天下り先の会社に発注することが問題なのではなくて、発注する側がコスト意識をちゃんと持っていないことです。民間企業でも、人のつながりで仕事を発注することはありますが、コストを見ているからばかげた発注はしません。その違いです。

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 緑資源機構のケースでは、随意契約でもいいのです。特殊な技術を必要とするし、工事が非常に難しいとか、遠方だったりするわけですから、実際の工事をするのは特定の人たちしかいません。つまり、発注先は限られているわけです。その中できちんとした技術を育てて施工できる体制をつくらないと、制度自体が維持できない。だから随意契約でも構わないと思います。

 大事なのは、ちゃんと積算されて、税金が無駄遣いされていないかをしっかり見極めることです。本当に税金の無駄遣いをなくすのであれば、一番いいのは無駄な発注をやめることです。予算の立て方、優先順位の付け方が問題なので、不必要な高速道路とか新幹線をどんどん立ち上げておきながら、その発注だけを競争入札にしても何にもなりません。 企業の購買部門というのは非常に重要で、マーケットの値段を見ながら、相対のネゴシエーションをして値下げさせることができます。役所ではそれをやらずに、競争さえすればいいですよという制度をつくるから、競争したふりをするだけです。

 「小さな政府」を大前提にして発注をするなら、民間が持っている知恵を透明に全面的に出させて、どの方式でどれだけの予算でやるのが一番いいかを明らかにした上で発注すればいい。価格だけではなく、工事の仕方とか施工の条件も含めて、どこが一番よくできるのかを明らかにすれば随意契約でもいいわけで、それを一般競争入札というばかげた制度を使うからおかしなことになるのです。

 例えば、ある県で談合防止策を協議したときですが、落札率が下がって調達価格が安くなったとしても、それで県の支出は本当に減るのかという議論がありました。競争入札するために事務量がものすごく増えている。それを円滑にいくようにしたら、県庁の役人の人数を増やさざるを得ない。また、落札率を下げていって倒産する企業が増えたら、失業対策費も出さなければならない。競争入札で二〇%ぐらい落札率が下がっても、本当に県財政が好転するかどうかはわかりません。そういうトータルな行政コストの考え方がないまま、発注方式だけ変えてどうするんだということです。

第三者の関与を排除する制度が必要

 談合の歴史を考えていくと、昭和の戦争期あたりに民間の自主的な調整として完成した形になったときには、受注可能性を持っている業者以外の第三者が関与することは、政治家であれ談合屋であれ、一切排除する仕組みでした。業界内だけで、受注の順番や割当を調整するけれども、おカネのやりとりは一切しない。だから政治資金も絡まないのです。

この民間の自主調整が駄目だと言われるようになってから、政治資金の流れがはっきりし始めるんです。「天の声」が出るのは談合の仕組みが壊れているからなので、これは談合の問題ではない、初めから政治の問題なのです。政治家が、表に出て犯罪行為にならないような形で政治資金を渡してもらうために、いろいろ口を利くという仕組みをつくり出しました。こういうことをやめる以外にないんです。

 談合は、民間の自主的な調整の選択肢としてはあり得ます。問題は価格の監視なのです。通常の民間取引であれば、相互に非常に強いコスト意識があるので、価格に関しては問題が小さくなる。そういう仕組みさえつくれば大丈夫なのですが、それをしないで、談合だけを制度的にノーだと言ってしまった。そのために政治家が介入できるようになったのです。プライスリーダーのような役割を政治家がやるわけです。「今度はあいつ」とか、一言側近に漏らしたら、それで決まります。それが「天の声」です。

 要するに今の仕組みは、政治家とか第三者の関与を排除する制度が不十分なのです。課徴金とか、企業に対する罰はあっても、天の声の方が処罰される仕組みが、独禁法にはそもそもないからです。

 戦前、カルテルが公認されていた時代には、大抵の場合はシェアを分与するという形で新規参入者を受け入れることができました。昔、いわゆる電電ファミリーが形成されるプロセスで、ケーブル線では住友電工、古河電工、藤倉電線の三社体制だったのです。大正一五年に逓信省とこの三社で協定を結んで、指定製造業者制度をつくりました。これは、本当は入札しなければいけないのですが完全な随意契約で、指定製造業者へ比率により割り当て、価格も同一という協定を結びました。ただし逓信省の内規では、同一価格以下の安い条件を提示した業者、あるいはより望ましい技術的な条件をクリアしている業者はこの協定にいつでも参加できることになっており、最初の三社は拒否できないことになっていました。ちなみに、電話の自動交換機に新規参入が現れたときには、全部横並びで安い価格に下げさせられました。そういうことを繰り返している。だから電電は技術もそんなに陳腐化しませんでした。

 この随意契約では、発注者は国ですから、例えば電話ケーブルの今年度何百万円という予算を、三社にただ割当比率で流すだけで終わり。価格は、原料の価格が全部市場の価格にスライドするようになっているので、それに合わせて予算から支払うだけです。ボロ儲けできる仕組みではありません。制度は、工夫すればいくらでも効率的な仕組みをつくれるのです。

 新規参入と対立するケースは、カルテルがすでに出来上がっていて、新規参入者はそのまま入ってしまうとマーケットシェアが小さくなり過ぎる。そこで、一回競争を仕掛けて自分のシェアを大きくしてから妥協する。だから、これも協調の一つの手段なのです。その時点で排除が発生します。かなり深刻な対立なのですが、戦前、カルテルが公認されていた時代には、大抵の場合、シェアを分与することで妥協できました。

 戦後の建設業界の談合でも、多分それはできました。トータルの市場が伸びていたからです。今は、公共事業は減らされていますから、放っておいたって談合は成り立たなくなります。受注割当というのは、順番が回って来なければ何の意味もありません。談合が参入を排除しているというのは事実に反します。業者数が増えたのは談合が放任された時代です。

 そこで実際何が起こっているかと言うと、例えば五キロの道路工事を一キロずつ五件に分けて件数を増やしている。それによって競争しているふりをしながら受注割当が可能なように、全部それを発注者側がやっているわけです。これも官製です。実際に地方では、例えば五〇〇〇万円以上の工事を一般競争入札にしましたと言って、じつはほとんどの工事を五〇〇〇万円以下に割るのです。五〇〇〇万円以下はまだ無理なので指名にしてあります、と。それで五〇〇〇万円以上の一般競争入札のところでは明らかに落札率は下がりますから、こんなに成果が上がりましたと喧伝するのです。

もう一つは、一般競争入札というとフリーエントリーで競争しているように見えるかもしれませんが、実際には資格審査を行っています。一つは工事の実績とか経営状態、財務状況、これらは国で決めている基準を使うのですが、そのほかに「主観点」というものを設定する。その地域に本社・事務所を持っているという資格要件を設定しても、今の制度では一般競争入札なのです。県の発注工事ですと、ある県で五つとか八つぐらいの地域に分けて、それぞれの地域内に本社のある企業、と指定する。

そうすると、業者数はずっと減ります。金額帯にも上限と下限を設けて、資格審査で付いた総合経営点数の何点から何点までの持ち点の業者だけにする。これも資格要件の設定です。こうなると実際には指名入札と同じようなことで、それで小さなグループごとに仕事が全部確保されるようにしているのです。

 だから、形だけの競争にこだわるよりも、まず発注件数を減らすことです。まとめて発注する。その際には随意契約でもいい。要するに、仕事の質とコストの評価がちゃんとできればいいのです。

 これまでの改革でも競争の圧力はかかっているのですが、落札率が下がったというところでマスコミ報道は終わります。それから五年ぐらいは静かなのですが、その間に落札率は戻ります。これが三周期ぐらい繰り返していて、多くの業者は、一、二年我慢していれば、また楽しい時期が来る。仕事を分けられる時期が来るから、それまで我慢しようということになります。要するに、コストを下げようとしないで待っていればいいということなのです。

発注者側の問題点

 結局、これは発注者側に問題があるのです。落札率が、例えば平均して八割になっていても、政府はいつまでも一〇割の予定価格を積算します。積算価格を、せめて九割に下げるという努力を発注者側はしない。いや、してはいけないことになっている。国土交通省が駄目だと言うのです。発注者側がいつまでも同じレベルの予定価格にするのがわかっているから、落札率が一時的に下がっても、一年経ったらまた上がってくるだろうと予測できる。

もし自分たちが下げたら発注者側は次から予定価格を下げるとわかれば、ばかな下げ方はできませんから、自分たちがちゃんと工事ができる範囲内で下げてくるでしょう。今はとにかく、一時的に下げれば誉められるから、それだけとにかく演じて、終わったらまた戻ればいいと思っているという感じです。

 要するに、官製談合、癒着が問題になり、発注価格そのものが高すぎるんじゃないか、結託してボロ儲けしているのではないかという批判が出る。これをかわすために国交省を中心にしたレベルで、各地域・都道府県の発注者の裁量権を取り上げているのです。全国一律でやりなさい、そうすれば文句は出ないだろう、と。だから現場へ行って話を聞き、「もっと下げられるでしょう」と言うと、「いやいや、国交省に叱られますから」と言って、下げる努力をしないのです。つまり、発注者側には競争原理が全然機能していません。

 政府が計画を立てたとき、一番望ましい価値・品質を持っている業者がどこにいるのかは、そもそもわかりません。そのギャップを調整するのが競争入札の仕組みだと考えればいい。それは価格を安くするというよりは、誰ができるかわからない、誰が一番上手かもわからないというときに、オープンに情報を集める。ある種のオーディションをする、その仕組みが入札だと思うのです。だからそれは価格だけの問題ではなく、誰がうまいかということも含めたオファーをしてきますから、そこで調整が可能になるということだと思います。

 ありそうなシナリオは、何か問題が起こるたびに、競争がないからだ、透明性がないからだといって競争だけを追いかけていくうちに、本来何をしたかったのかわからなくなることです。競争さえしていればいいといった話になってしまう。本来は、行政またはその組織は何を目的としているかということから出発して、それを実現するための最善策は何かを考えていかなければいけません。いいかげんな、ラフな制度を設計して押し付けると、人間の知恵の方が上なので、それをごまかすようなことが起こるだけです。闇に潜る方が危ないのですから。

 あと一つ付け加えると、各地域でもう少し中堅業者を育てるという方向がいいのではないでしょうか。例えばある県でガリバー的な独占企業があるなら、そこだけ指名除外して、あとは一般競争入札にする。ただし工事の規模をずっと大きくして、彼らが競争できるようになったらトップ企業をまた入れてやるとか。発注者側がそういう知恵を出さなければ駄目です。そのようなやり方だったら、カネはかけなくてもできるからです。

 また災害対応は、受け皿になる非営利の組織を用意して、災害時だけ業務出資をするという建設業者を募っておいて、その業者には資格の点数を高くするというような優遇をするとか、もうちょっときめ細かい制度をつくれば集約化ができると思います。


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