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「安全保障」編 印刷 Eメール

2007年参議院選挙 有識者の評価/「安全保障」編

倉田秀也(杏林大学総合政策学部教授)
くらた・ひでや
profile
1961年生まれ。85年慶應義塾大学法学部卒、延世大学社会科学大学院留学、95年慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程単位取得。杏林大学総合政策学部助教授などを経て、2005年から現職。日本国際問題研究所客員研究員、東京女子大学、青山学院大学講師。共編著書に『朝鮮半島と国際政治』など。

集団的自衛権の行使のリスクとメリットを読む

 先般、集団的自衛権の行使についての懇談会が、官邸主導で開かれました。これは日米首脳会談の前に、アメリカとの同盟関係を維持・強化するという意思表示の意味も多分に含んでいたと思いますが、そのメンバーを見れば、すでに結論は出ているといってよいでしょう。

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集団的自衛権を行使するのはこういうリスクがあるということを指摘する人がいて、それに対してこれだけのメリットもあると指摘する人もいるというのが本来の懇談会のあり方なのですが、そこには、初めから行使すべきという人しかいなかったのです。

 国民投票法が衆参両院を通過しましたが、施行を三年間フリーズするわけですから、最短でも三年間は改憲できない。だから、その間は政府解釈によって集団的自衛権の行使まで踏み込める部分を今の段階で定めておこうというのが、あの懇談会の目的でした。

もちろん、その権利行使は義務ではありません。ただ、行使できる余地を残しておかなければならないということなのです。たしかに、想定される四つのケースについて議論するという手続きは正しいと思います。集団的自衛権の行使については、私も推進派ですし、集団的自衛権の懇談会が議論すべき点については、私も大方賛成の立場です。

 しかし、今回の参院選に当たって、安全保障の領域の最大の焦点がまさに集団的自衛権の行使にかかわる問題であるにもかかわらず、自民党のマニフェストでは、必ずしも大きく取り上げられていません。

憲法改正との関連で「個別具体的な類型に即し、集団的自衛権の問題を含め憲法との関係を整理して安全保障の法的基盤の再構築を行う」とありますが、集団的自衛権の「行使」には触れられていませんし、懇談会についても言及はありません。

 集団的自衛権の行使には、リスクも伴います。そのリスクを埋めて余りあるメリットがあるからこうするという形で周知させないと、国民にはわかりません。官邸主導それ自体に反対するわけではありませんが、それならなおのこと、マニフェストは充実していなければなりません。

他方、民主党のマニフェストでは、国連の平和維持活動についても自衛権の行使という言葉が使われていますし、その後に「専守防衛に限定する」とあります。「個別的・集団的といった概念の議論に拘泥せず」ともありますから、一応言及はしています。

 しかし、集団的自衛権を行使するとかしないとかいう言い方はしていません。むしろ逆で、「自衛権は憲法第九条に則って行使する」などと「専守防衛」に言及して、セーブしている印象があります。

他方、「主権国家の自衛権行使は国連の平和維持活動とは別のものだ」と言いつつ、「国連憲章第四一および第四二条によるものを含めて、国連の要請に従ってわが国の主体的判断と民主的統制の下に、積極的に参加する」と書いています。

しかし、これらの条目は国連憲章の中で、「平和に対する脅威、平和の破壊および侵略行為に関する行動」を定めた第七章に属するもので、第四一条が非軍事的措置、第四二条が軍事的措置に関するものです。これを「専守防衛」という言葉で括っていいのか。もしそれが、小沢一郎代表の言っている国連待機部隊を念頭に置いているのなら、そう明記すべきでしょう。

 結局、外交・安保については民主党内で意見が分かれていて、収斂していない。それがかえって総花的な記述になっているのではないかと思います。ですから、詳しく読んでみると、先ほど述べたような平仄が合わない部分が出てきます。

国際紛争に軍事力の行使を含めて現実的な対応をとるべきだという人たちと、そうではないという人たちの意見を両方載せているわけです。ですから、パッケージになっていない、一つの構造としてまとまっていないという印象があります。

 自民党のマニフェストに戻ると、外交問題で最も安倍政権らしさが出ているのは、「日米同盟に立脚した価値観を共有する人々の連携、自由と繁栄の弧を形成する」という部分です。ただ、価値観を共有するというのはいいのですが、普遍的な価値に基づいた外交をするというのが、今の日本の状況で可能なのか、望ましいのかについては、私は疑問に思っています。

確かに、ブッシュ政権は当初、北朝鮮やイラク、イランに対しても、自由・人権といった普遍的な価値を前面に出していました。「同時多発テロ」以降、「不安定の弧」という言い方がよくされました。自民党が言う「自由と繁栄の弧」というのも、「不安定の弧」を意識したものでしょう。

しかし、今日のブッシュ政権が普遍的な価値を前面に出す外交を展開しているかといえば、そうではありません。むしろ、昨年の中間選挙以降、善し悪しは別として顕著なのは、「ネオコン」と呼ばれる人々が政権を去って、実用主義的な外交を展開する人たちの発言力が増しているということです。

アメリカ外交が普遍的価値を後退させているのに対して、日本が代わってそれを主張している。日米間のギャップを安倍政権はむしろ広げているのではないかという印象すら受けます。

北朝鮮をめぐる日米間のギャップ

 これがよく示されているのは、安倍さんの対北朝鮮政策です。拉致、核、ミサイルという順番ですが、拉致問題と北朝鮮の人権侵害を前面に押し出しています。また、「北朝鮮人権侵害問題対処法の早急な改正を目指す」とありますが、あの国に人権とか民主主義だとか改革開放を押しつければ押しつけるほど、彼らは核にしがみつくというのが今までの経験です。

日本は北朝鮮を望ましい価値観を共有する国にしたいのか、それとも核問題や拉致問題を解決するために、北朝鮮の内部の問題には踏み込まず、あるがままの北朝鮮を相手にするのか、どちらを選ぶのかということですね。ここにも安倍さんのカラーはよく出ています。「拉致問題の進展がなければ北朝鮮への経済支援を行わない」と書いてあります。

 ブッシュ政権は、明らかに後者の方向にかじを取っています。日本は逆に拳を振り上げているという感じがするのです。「拉致問題の進展がなければ経済支援は行わない」とか、「北朝鮮人権侵害問題対処法の早急な改正を目指す」ということは、拉致問題を人権問題として見ているのだと思います。

しかし、日朝間にほぼ固有な問題を人権という普遍的な価値の問題としてアプローチするという意図はわかりますが、本当にそれでいいのかという気がします。

 実際、北朝鮮の核実験を受けて、アメリカはもはや北朝鮮に懲罰的に臨むことの限界を露呈しています。核実験に対しては国連安保理決議一七一八で経済制裁を加えていますが、平成一九年二月に六者会談でまとまった「北京合意」を見ると、地域的次元では、北朝鮮には懲罰的措置ではなく、むしろ支援をして核放棄に導こうとする意図が示されています。

「北京合意」は二つの段階から成り立っていて、まず北朝鮮が今動いている寧辺の核施設を閉鎖し、国際原子力機関(IAEA)の監視査察を受け入れるなら、五万トンの重油を提供することになっています。さらに、その次の段階として、北朝鮮がすべての核施設を申告し、無能力化すれば九五万トンの重油を与えることになっています。「北京合意」では、北朝鮮に対する重油提供は集団的に行うことになっていますが、最初の五万トンについては、韓国が単独で行うこととしています。

 今のところ、日本は拉致問題という特別の懸案事項があるから支援しませんということで理解が得られていますが、北朝鮮が核施設の申告をし、無能力化するといった段階になっても、なおかつ拉致問題に進展がなければ、安倍さんは大きなジレンマに直面します。

核問題の進展にもかかわらず、拉致問題の進展がない限りは「ビタ一文出しません」と言っていられるのかどうか。拉致問題の重要性は否定しませんが、最も北朝鮮の核・ミサイル脅威に晒されている上、六者会談の参加国でもある日本が、その合意に従って行動をしないということは、六者会談の足を引っ張っているということにもなりかねません。この合意をつくった張本人のアメリカとの関係も、こういった文脈で考えておくべきでしょう。

 安倍政権は、拉致問題で妥協したくないということなのでしょうが、核実験までやられて拉致問題を最優先するというプライオリティーというのは、北朝鮮問題自体が国内政治化しているということでしょう。

私は、決して大袈裟な意味ではなく、北朝鮮の核実験は戦後の日本の安全保障で最大の危機をもたらしていると考えています。北朝鮮の核実験がどのような課題を日本に突き付けているのか、それについてどのような認識でいるのか、政権与党として国民に明らかにするべきだと思います。マニフェストで、北朝鮮の核実験後における日本の安全保障上の問題を明記した上で、それにもかかわらず拉致問題を最優先するというのなら、そう書いてほしいものです。

リベラルな価値を前面に押し出すにしても、目の前のぬかるみをどうやってクリアするのか。日本にとって必要なのは、リベラルな価値を広げることよりも、目の前にある脅威をどうやって軽減していくのかというリアルな発想です。

日本外交には過去、リベラリズムもリアリズムも薄かったのですが、いま求められているのは明らかにリアリズムであり、それは北朝鮮問題に集約されていると思います。

 この問題では、自民党のマニフェストに対して民主党が自民党に代わるような対案を示しているかというと、それは全くありません。まずプライオリティーが自民党と一緒で、拉致・核・ミサイルです。

ただ、自民党のマニフェストよりは、「北京合意」を含めて国際的な合意を重視しているという印象は受けます。それなら、北朝鮮の核問題解決の方向に行けば応分の負担をするということになるのですが、そこまでは踏み込んでいません。「今回の合意の移行状況を厳しく注視していく必要があります」と書いていますが、では北朝鮮が合意を守った場合どうするのかということは何も書いてありません。

 民主党のマニフェストで指摘すべきは、国連改革についての項目で、「常任理事国入りを目指します」と言及している点です。これについては自民党のマニフェストは触れていない。

民主党の主張で面白いと思ったのは、拒否権の見直しとか敵国条項の撤廃とか、国連の属性を変えてから常任理事国入りをするという手続き論をとっていることです。これについてはよくできていると思います。国連を今のままにして常任理事国入りするという、自民党がやろうとしたこととは違うという点がよく示されています。

国際情勢とマニフェスト

 手続き論ということで、もう一つ気付いたのは、核廃絶、核軍縮、核不拡散と書いてあるところです。これは、手続き論ではまったく逆で、核不拡散→核軍縮→核廃絶です。核不拡散なしにどうやって核軍縮や核廃絶を進めるのでしょうか。

核不拡散は政策の領域ですが、核廃絶はいまのところ、政策というよりもスローガンです。なぜこうなったかというと、党内で核廃絶というのが強いのだと思います。核不拡散は国民にアピールしないという判断が党内にあるのかもしれませんが、政策論よりもスローガンを優先するようでは、政権を狙えません。

 これと関連して、あえて核不拡散に触れるのであれば、今のインドとアメリカの原子力協定をいったいどう捉えるのでしょうか。民主党のマニフェストでは、「南西アジア地域との関係を強化する」、「核軍縮、核不拡散、核廃絶をねばり強く訴えていきます」と言っていますが、ではだれに訴えていくのかというと、この文脈上はインドとパキスタンということになるのでしょう。

しかし、問題はもっと複雑です。核不拡散条約に入る気配もなく、一九九八年に核実験を強行した両国に対して、クリントン政権のアメリカは経済制裁を課しました。しかしブッシュ政権は、インドについては原子力協力を行おうとしている。核不拡散条約上、インドの核保有は「不法」なのですが、それにアメリカが原子力協力を行うことは核不拡散体制を動揺させるものであるという指摘もあります。この問題を民主党はどのように考えているのかと聞いてみたいところです。

 また、イラク問題にも民主党は触れていますが、「イラク派遣は直ちに終了」が結論ですから、イラク戦争の名分から批判しているような印象を受けます。自民党は、イラクとは明記していませんが、「国際貢献を行動で示す」と書いています。

ただし、それを特別措置法で乗り切るのではなく、恒久法で対処していくと言っています。したがって、ターゲットはイラクだけではありません。イラクのような事態が生じたときに、すぐ対応できるような法整備をしましょうということです。これからも一般法で対応しようという自民党と、イラク戦争そのものを批判している民主党とでは、ここで対立軸というか、争点が明確になっている感じがします。

 最後に、参院選のためのマニフェストとして評価するならば、安全保障の部分で国民に姿勢を一番示さなければならないところが、自民党では十分に提示されていないことをあらためて強調しておきたいと思います。今日の憲法改正の論議も、まさに集団的自衛権の行使の問題が発端となっています。

それを参院選の争点に出さないというのはおかしいことです。民主党はこの問題に触れていますが、総花的で、よく読んでみると平仄が合わないという印象を受ける言及が目立ちます。

一方、自民党は、重要な論争の種になるようなものを出さないで、それらは官邸主導ということにしておいて、選挙を乗り切ろうと考えているのではないかと疑いたくもなります。マニフェストに書いていないのに、選挙が終わったら着々と進んでいくという、国民の側からしたら恐ろしいような話です。

 安全保障の問題に関する限り、当初、マニフェストが導入されたときよりも、根本的な問題が提起されているのにもかかわらず、今回のマニフェストがそれに対応していないという印象は拭えません。

確かに、本来、参院選は政権交代を問う選挙ではありません。ですから、国民の側も政権には批判的な投票行動に流れることもあるでしょう。

しかし、だからといって、マニフェストが形骸化されてはなりません。安全保障の問題の多くが官邸主導で進められているからこそ、マニフェストは明確に書かれなければならないことを強調しておきたいと思います。


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