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「憲法改正・国民投票法」編 印刷 Eメール

2007年参議院選挙 有識者の評価/「憲法改正・国民投票法」

添谷芳秀(慶応義塾大学法学部教授)
そえや・よしひで
profile
1955年生まれ。上智大学大学院国際関係論専攻博士前期課程修了、米国ミシガン大学大学院政治学専攻博士課程修了(国際政治学Ph.D.)。上智大学国際関係研究所助手、財団法人平和安全保障研究所研究員、慶應義塾大学法学部助教授等を経て、95年から現職。著書に『日本の「ミドルパワー」外交』(筑摩書房、2005年)など。

どういう哲学や将来ビジョンを持って憲法を変えたいのか

 安倍政権の憲法改正に臨む姿勢や、国民投票法、集団的自衛権、外交などにおける日本の課題を概観した後に、主にそれらの論点に関して自民党と民主党のマニフェストを読み比べてみたいと思います。

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 まず、一有権者から見ると、安倍政権は憲法改正を随分急いでいるな、という感想を持ちます。私は、戦後日本には問題があったと思いますし、それを是正していく最終到達点が憲法改正であるという構図は、確かに正しいと思います。

 しかし、国の骨組みを新たにつくり直すわけですから、先達たちが長年かけて明治憲法をつくったのと同じように、新しい憲法を手にしたときに何をやるのかという深い議論をしながら、一定の落ち着きどころ、落としどころを見いだすべく、じっくり腰を据えて取り組むべきことだと思います。にもかかわらず、これだけ急いでいる背景には、戦後日本の平和主義であるとか、進歩主義的傾向に対する危機感やフラストレーションを持っている人たちが改憲論を先導しているという構図があると思います。

 投票法の中身にしても、例えば最低投票率を決めないのはなぜかという議論が、むしろ改憲を急ごうとする人々から聞こえてきいます。うがった見方をすれば、最低投票率を決めると、護憲論者が投票に行かないという運動をすることによって憲法改正をつぶせることになるので、それに対する一種の防御策なのでは、とも言えそうです。つまり、国民投票法という本来であれば法的、政治的に中立無色であるべきものをつくる作業過程に、戦後の一種のトラウマに突き動かされるかのように改憲を急ぐ衝動のようなものが働いてしまっているように見えるのです。

 確かに、敗戦や東京裁判、それが戦後の歴史問題をめぐる日本国内での右左対立を生み、そこに中国も絡むという非常に複雑な状況の中で、やはり多くの日本人の心理的な傷はうずいているのだろうと思います。

 ただ、戦争世代の人がそれを持っているというのは実体験ですからよくわかりますが、安倍首相の場合はそれがどこまで深いものなのかはわかりません。しかし、彼の問題提起を通して見える思想やイデオロギー的なものを探ろうとすると、仮説的ですが、彼にもそうしたトラウマを感じます。その仮説が正しければ、やはりトラウマの原因を正すというアプローチをとることは自然なのでしょうが、しかし、それはシステム全体を転換させて是正するべきものなのか、個別の問題として解決するつもりなのかがはっきりしません。

 例えば、一方で「戦後レジームからの脱却」と安倍首相はおっしゃいます。字面上はシステム全体を転換させる意味の言葉です。しかし、他方で彼は、例えば中国に対して、戦後日本の平和路線を評価すべきであると、まさに「主張する外交」の中身として発言しています。しかし、この前提には「戦後日本」というものがそれなりの成功物語であったのだという認識があるわけです。このように、こうした成功物語としての戦後の認識と「戦後レジームからの脱却」という言い方の間には、整合性が見えません。

 そうすると、「戦後レジームからの脱却」とは、結局、何らかのトラウマを個別的に克服することを意味するにすぎないように思えます。だからこそ、そこから先のデザインも見えてこないのでしょう。

 また、確かに、先のデザインが見えないものの、安倍首相が重要だと思っている個別の課題は幾つか見えます。それは例えば、集団的自衛権であるとか、北朝鮮や中国に対する外交で自己主張すること、憲法改正、教育改革などです。

 しかし、それらの課題をつなぐ体系がどこにあるのか見えないことが問題なのです。つないでいるものが、戦後の日本に対する何らかのトラウマであるとすると、それでは、現実の世界は動きません。

 確かに、戦後に問題があるから変えようという訴えかけをしている限りにおいては、多くの国民は、私も含めて、そのとおりだと思っていると思います。また、首相になればそれなりのパワーがありますから、一定程度はリーダーシップで動かすということはできるでしょう。

 しかし、それが私達の、身の回りの国民生活に入り込む最後の最後のところまで来ると、様々な考慮すべき要素が当然現れて、国民の抵抗も出てくると思うのです。

 私自身は改憲に賛成ですが、将来日本がどういう方向に向かうのか、という長期的な観点に立つ必要があると思います。そして、何のための改憲なのか、どういう改憲をするのかという前向きの議論をして、具体的な中身に関する国民的議論を盛り上げて、その中からおのずと落ち着きどころを見いだすというのが本来あるべき姿です。今の政治的雰囲気は、そうではないというところが一番気になります。

 国民投票法については、法があること自体は当然であって、ないことの方がおかしかったというのは多くの人の言うとおりで、それを持つこと自体はいいと思います。

 しかし、最初に申し上げたように、いわゆる改憲の衝動を強く持つ人たちが中心になって国民投票法ができるというのは、やはり民主主義的精神を反映しているとはいえません。そして、改憲は考えてもいいが、安倍首相にはやって欲しくないという人が結構いる理由は、やや強引で後ろ向きの衝動に対する違和感なのだろうと思います。

 本来ならば、党派を超えて、政治家主導では必ずしもなく、中立的な法律の専門家等も入れて、改憲の積極派・消極派双方から見て中立的な国民投票法をつくるのが民主主義的であると思います。世界にもそうした投票法の例はいくつもあります。

 集団的自衛権についても、ないのはおかしいという現実論はまさに正論なわけで、多くの支持者もいます。ただ、これには二つ問題があります。一つは、法的整合性の問題です。これは現実論だけでクリアできる問題ではなく、いかにして折り合いをつけるのかという問題が残ります。それからもう一つは、集団的自衛の行使が可能になれば、平たく言うと、日本はアメリカがする戦争を一緒に戦える国になります。アメリカとの同盟における集団的自衛権とは、そういう意味を持つものです。

 日本が集団的自衛権を持てば、アメリカが戦争をするときに、同盟があるから日本も協力してくれという要請が来るでしょう。そのときに、イエスと言うかノーと言うか、まさに日本が主体的に決めるべき問題です。ただ、この場合を想定したときに、集団的自衛権を認めたいという衝動のみから議論するのではなく、どういうときにイエスと言って、どういうときにノーと言うのか、という広い戦略論や国際情勢論をあわせて集団的自衛権の議論をしないと本質的ではありません。 

 また、この議論は憲法改正、第九条問題とも関連してきます。そもそも、日米安保条約は第九条を前提にして中身ができていますから、第九条を変えたら現行安保は論理的には書き直しとなるはずです。しかし、今現在、誰もそういう話はしていません。このように本質的な議論が不足したままでは、改訂された第九条と日米安保条約がどういう姿になるのかということについて、私は日本国民のコンセンサスはなかなかとれないのではないかという気がします。というのは、日本が集団的自衛権を持って、アメリカがする戦争を一緒に戦う国になるという状況が現実のものになってきたとき、やはり日本の国民の多くはもう一度考え直すのではないかと、私は思うからです。時間をかけてそういう状況も説明しながら、正直に、知的に議論を深めていかなければいけないと思います。

 外交に関しては、自民党も民主党も日米関係を対等に、と言いますが、これは日本社会の基本的な欲求なのでしょう。しかし現在、アメリカと対等な関係を持てる国は世界中にありませんから、これは政治的な意欲の表明、あるいは従来があまりにも従属的であったということへの反動だろうと思います。

 また、政府の言う「自由と繁栄の弧」という言葉については、自由と繁栄は、長年日本が実際に様々な国際貢献を行ってきたわけですから、それを明示的に言葉にしたという点では積極的に評価してよいと思います。ただ、これに問題があるとすれば、「弧」とはやはり中国を囲むものに見えてしまうことです。また、安倍首相が言っている「価値を共有」するアメリカ、オーストラリア、インドとの協力も中国を意識しています。

 しかし、私はこれを反中大戦略だとは思いません。政策の中身にも、中国と張り合うという要素はありませんし、そもそも日本がそうした戦略を持つべきでもありません。しかし、中国の側では、まさに彼らがこれまで日本に対して抱いてきたような不信感が刺激され、日本が中国の囲い込みを図っているのではないか、という見方が説得力を持ってしまうのです。

 ここに明らかにギャップがあって、それが今放置されてしまっています。このギャップが放置されていることが日本にとって重要な問題だという認識は、残念ながら今の外交の雰囲気にはないのです。

 例えば、アメリカの対中政策においては、一方では、軍事的に中国に対する抑止を常に確保しておくという考え方はありますが、他方で、中国社会に自由と繁栄を広めていくという戦略もあります。そこで様々な財団等が中国国内との接触を市民社会レベルで広めて、自由や繁栄を希求する中国国内の人々とのネットワークを着実に築いています。それを、アメリカ政府は側面支援しています。日本政府のアプローチで欠けているのは、日中間で市民社会が持つ底力に対するこうした側面支援なのです。

 オーストラリアやインドにしても、日本の働きかけにある程度つき合ってくれていますが、同時に反中戦略ではないということを明示的に主張します。彼らが現在の日本の外交政策のうち、従来からすれば非常に積極的になった部分をできるだけ歓迎し、取り込んでいることは、対中関係も含めて全般的利益を計算した上でのことなのです。

 以上の議論を踏まえた上で、自民党と民主党のマニフェストを読み比べてみます。すると、憲法改正を議論する際の軸足が両党で明らかに違うことが見えてきます。マニフェストの字面からは見えにくいのですが、全体を解釈する中で違いを感じとることはできると思います。

 確かに、個別の問題に対して、自民党と民主党のマニフェストが主張している最終的な成果物にはそんなに大きな幅はないのかもしれません。

 しかし、軸足というのは、一つの体系が成立するときにその根幹にあるものです。故に、体系につながらないトラウマのような衝動を軸足にして制度設計をやっても、形にならないと思います。それでも、部分的に何となくうまくいったように感じることはあるかもしれませんが、世の中はシステムとして様々なものが相互に関連し合って存在しているのですから、根幹の議論が不十分だと齟齬をきたすことになります。

 しかし、この種の抽象的な議論をすると、具体論を言えという話にすぐなるのですが、やはり具体論の言いにくい抽象的なものもあって、それは案外、とても大事なのです。憲法を変えるということは、日本のシステムを変えるということですから、そのときに我々がどういう哲学や将来ビジョンによってシステムを変えているのかというところが見えないと、変えている我々も不安だし、国外から見ても不安になります。

 そうしたビジョンについて、自民党も民主党も明確に答えているとは言えないと思いますが、マニフェスト等を解釈していくと、違いを感じとることは不可能ではないように思うのです。

 集団的自衛権に関しては、自民党のマニフェストは極めて積極的です。一方、民主党のマニフェストには集団的自衛権について記載がありませんが、むしろ自衛権は専守防衛に限ると明示的に書いてありますから、恐らく否定的でしょう。そして、民主党の場合は、アメリカとの同盟に基づく集団的自衛権よりは、国連の平和活動の方に軸足を置いた指向性が明確に出ています。自民党の場合は、必ずしもそうではありません。自民党のマニフェストでは、まず、国の安全保障、次に日米同盟・集団安全保障、それから従来型のPKO的な国際平和協力という順位で力点が置かれています。

 また、民主党は、日米同盟は重要だという一般論は明示的に書いてはいますが、集団的自衛権にまでは踏み込んでいません。いわゆる伝統的な国の守りということは、個別的には幾つか書いてありますが、必ずしも体系的な主張にはなっていません。これは、民主党内に武力行使の是非をめぐる幅広い意見対立があるからでもあります。

 しかし、こうした力点の違いは、特に憲法第九条の改正を、どういう発想で、どういう将来展望のもとで扱うのかという議論になったときに、重要な違いとして浮かんでくることにもなると思います。国の防衛、日米同盟、国際安全保障という三つの柱を並べた場合、自民党と民主党では優先順位が逆なのです。

もっとも、現実的な話、日本にできることは限られています。ですから、憲法第九条を改正しても日米安保は残るでしょうし、多分ますます強化されると思います。憲法改正の議論を経てみつかる国民的な落としどころというのは、戦後日本の生きざまとそう大きく違わないのではないかと思います。だから、「戦後レジームからの脱却」という衝動から国のかたちは生まれようがないのだと思います。

 また、憲法改正に関しては、民主党のマニフェストには、今の自民党主導の憲法改正に対して、もう少し国民的議論をやるべきだと書いています。民主党も二〇〇五年に憲法問題に対する基本的な考え方という文章をまとめました。自民党も二〇〇五年に改憲草案を正式に公表しています。我々は、各党の改憲案を含め、様々な改憲草案を慎重に検討し議論していくべきでしょう。政権党が改憲を強引にリードするというのであれば、手続き・制度の面からは十分民主主義的といえるでしょうが、民主主義の精神がどこまで示せているかについては疑問が残るのではないでしょうか。


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