市民が担う公共の役割を将来ビジョンに位置づけ、正面から取り組もうとした政権は初めてであり、その期待は大きかった。しかし、実際は、市民社会の視点がなく、企業を中心とした公共分野の産業政策であった。
1. マニフェストと政策方針について
民主党マニフェスト2009では、市民が公益を担う社会の実現と、NPOなど非営利セクターの活動を支援し、その具体策として、認定NPO法人制度や寄付税制の見直しを掲げている。しかし、マニフェストが提示された時点では、「新しい公共」という言葉は用いられておらず、ましてやそれが国つくりのビジョンの柱のひとつであることは示されていなかった。
ところが、2009年10月に出された所信表明演説において、新しい公共は「国民一人ひとりが「自立と共生」の理念を育み発展させ、絆と信頼のある社会であると」述べ、日本がめざす社会の将来ビジョンの骨格として位置づけている。
続いて2010年1月に出された施政方針演説においては、「新しい公共」は2番目の政策として位置づけられているが、その内容は、「「官」が独占してきた領域を「公(おおやけ)」に開き、「新しい公共」の担い手を拡大する」、「肥大化した「官」をスリムにすることにつなげていきたいと考えます。」と財政支出削減を目的にした行政サービスの民間解放が主たるものになっている。
2010年1月に、鳩山首相のイニシャティブで「新しい公共」円卓会議が発足し、日本の将来ビジョンの方針を議論する場として位置づけられた。ここで議論されている諸策のうち、寄付税制と認定制度の改革案については検討され、平成23年度の税制大綱をめざし中間報告が出された。地域社会雇用創出事業は平成22年度補正予算70億円が既に措置されている。
2. 評価のポイント
(1)政府方針の所在
マニフェストでは非営利セクターを主たる対象として政策を講じることを謳っていたが、「新しい公共」円卓会議では、主たるアクターは企業であるとし、その対象および考え方が変質している。
同円卓会議が打ち出した方針について公開された各種文書は情緒的、散漫でその真意が読み取りにくくなっているが、論点をまとめると次のようなことがわかる。
すなわち、新しい公共の主要なアクターは、国民、企業、政府の3つであり、中でも最も重要な担い手は企業であるとする。そして、それぞれに何を期待しているのかに着目すると、企業については公共分野での起業と融資や寄付による支援、政府は事業仕分けや民間へのアウトソーシングによって、その活動領域を小さくするとある。そして、国民については心構えに留まり、具体的に何を期待されているのか明確でない。
具体的な諸策についてみると、寄付税制、寄付などの資金仲介機能、企業からの融資や投資の緩和や対象拡大、補助金による起業支援、そして国・地方と非営利セクターの関係再構築として行政委託方法や協働の見直し、国民教育の手段としてPTAや学校、公民館などの公共施設の活用などが挙げられている。
国民教育は脈絡が異なるようにみえるが、それ以外の諸策は基本的に民間セクターから公共分野の事業に資金を流す仕組みである。
ちなみに、市民社会とは自発的・自立的に公共的な領域に参加する市民が織り成す空間で、民間非営利組織や活動はこうした多用な市民参加の選択肢を提供する受け皿である。現に、わが国においては多様な非営利法人や活動が存在し、ひとつのセクターを形成している。そして、このような営みは日本文化や伝統に存在していることを円卓会議の宣言文の冒頭で記している。にもかかわらず、同円卓会議は、民間非営利組織を行政協働の対象として位置づけたのみである。市民社会や民間非営利組織の原点がスコープから落ちているのだ。
そして、その諸策を通して見えてくるのは、公共分野において、収益性の高い分野は起業を促し、収益性の低い分野はNPOなどの民間非営利組織に行政委託の受け皿として機能させようとしているのである。但し、起業支援に必要な資金、あるいは行政委託金の不足分については、公的資金では補填せず、寄付や融資、投資によって民間からの資金量を増し充当することを念頭においているのである。
つまるところ、鳩山政権が掲げた「新しい公共」とは公共分野の産業政策であり、特に、企業や個人寄付、融資や投資を組み合わせて資金を流入、移動させることを狙いとしているようにみえる。
(2)マニフェスト実績評価結果のポイント
「ビジョンにおける視点のぶれ、市民社会の欠如」
第1に、マニフェスト、所信表明演説、施政方針演説に示されたビジョンにおいて、その視点、対象が異なっているという点である。
マニフェストでは政策の主たる対象はNPOなどの民間非営利セクターであった。所信表明演説と施政方針演説はいずれも「新しい公共」という言葉を用いているが、前者は市民社会に視点が置かれていたのに対して、後者は官業の解放に重点が置かれており、その視点の対象や狙いが異なっている。
また、公共サービスの再編を目的として、民間にその一部を担わせるのであれば、政府は、最初に政府として最低限どのような公共領域を担うのかを最初に示し、その上で、民間部門に期待する分野や役割を示すべきである。しかしながら、「官のスリム化」のみで、この点について説明がない。
小泉構造改革政策が厳しく批判された理由のひとつは、政府として最低限維持すべきセーフティ・ネットを明確にしないままに、予算や政府機能を削減したことである。鳩山政権も表現方法は異なるが本質的に同じ問題を孕んでいる。
第2に、市民社会の役割が「新しい公共」のスコープから抜け落ちているという点である。所信表明演説、施政方針演説では、「新しい公共」の主たるアクターとして市民、NPOという言葉が何度も登場している。
しかしながら、「新しい公共」円卓会議の宣言文、提言においては、重要な担い手は企業であるとし、非営利セクターは独立したアクターとして扱われず、行政協働の対象としての位置づけに留まった。国民教育の場として学校や公的機関が挙げられているが、より身近な市民参加の受け皿はNPOなどの民間非営利組織である。市民のボランティア活動など自発的な社会貢献活動とその受け皿となる非営利組織が織り成す空間こそが市民社会であるが、これらの役割や機能について触れられていない。
「政策対象に関する課題の認識の欠如」
総じて、新たな法人制度や税制など、答えが先にありきで議論が進められ、円卓会議のメンバーが個々に意見や提案を述べたものを束ねただけなので、提案事項について検証されないままに終わっている。
たとえば、寄付税制の改訂とセットで提案された認定NPO法人制度の見直しも、現状分析がなされぬまま大幅な要件緩和がなされている。認定率の低さはパブリック・サポート・テスト(PST)が原因という前提で修正が進められているが、既に7回にわたる改正で緩和策がとられ、データ分析によれば既に3割程度がPSTをクリアしている。認定率が低い原因は認定要件ではなく、むしろ手続きの複雑さにある。
同会議は、非営利セクターをひとつの政策対象として捉えていないが、寄付税制や融資制度の受け手となるのはNPOセクターである。同セクターの現状と課題の分析の必要性については、円卓会議メンバーからも何度か指摘があったにもかかわらず、現状分析やそれにもとづく議論が行われていない。
「政策体系の問題:政策目的と方法の矛盾」
また、掲げた目標とそれを実現するための施策や事業案の間に矛盾をきたしているものが複数見出された。新しい公共を、市場を中心に描こうとしたことでその論理に矛盾が生じているものと思われる。
非営利法人が市場で活動しやすくするための対応策として、公益法人の認定期間の短縮を挙げている。しかし、公益法人制度の目的は同法人の市場活動の促進ではなく、公益活動の促進である。
ソーシャル・キャピタルの促進が掲げられているが、ソーシャル・キャピタルとは人と人とのつながり、信頼関係、絆である。国民生活白書2007において、日本人のつながりの希薄さが指摘されているが、それは地域社会の諸活動への参加、近所つきあい、職場、家族における人間関係の問題である。しかし、同円卓会議では、融資制度やファンドをソーシャル・キャピタルの促進策として掲げており、これが人々の絆やつながりとどう関係するのかわからない。
「目的不在とバラマキの危険性」
また、制度を作ること自体が目的化しているものや、目的が不明確なものがみられた。
たとえば、社会事業法人法の提案で、これは委員ではなく事務局職員から提示されているが、その内容は他法人制度でカバーできるもので、円卓会議メンバーも疑問や反対意見を出しているが、依然として政府方針として示されている。
地域社会雇用創造事業は既に平成22年度の補正予算で50億円の予算措置が決定している。元来その緊急雇用対策であり、社会起業は二義的なものとなっている。人材育成計画や起業支援内容が不明確で、補助金配分が主たる構成になっているために、結果的にバラマキになる可能性がある。
「透明性の問題」
政策決定プロセスが以前より不透明になったという批判は、民主党全般の政策について指摘されているところであるが、「新しい公共」についても同様の問題がみられる。
「新しい公共」円卓会議のメンバーが企業関係者に偏っており、NPOや受益者などのステクホルダーへの配慮がないことが挙げられる。また、なぜ宣言文のような内容になったのか、これまでの議論内容と宣言文が必ずしも一致していない点も疑問である。
さらに、補正予算で措置された地域社会雇用創造事業については、既に50億円の予算が3週間足らずの応募期間で12団体に配分されることになった。しかし、応募数は開示されておらず、さらにはこれらの12団体はホームページで団体の事業報告書や決算書など団体の基礎的情報を開示していない。社会的企業やNPOを育成する団体としては自身のアカウンタビリティに疑問がもたれる。
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